7月1日から7月15日までの15日間開催される「博多祇園山笠」。山笠を見なきゃ夏がはじまらない!といっても過言ではないくらい博多の男性の熱い姿が垣間見れるお祭りです。コロナ禍では2年間中止となるなど予想もできない出来事もありましたが、今年も元気に始まりました!
今回は、そんな博多の夏の風物詩「博多祇園山笠」の歴史や魅力、見どころをご紹介します。
Contents
「博多祇園山笠」とは?
毎年7/1から15日間執り行われる「博多祇園山笠」は、「博多の総鎮守」といわれる櫛田神社に約1トンの重さがある山笠の山を奉納する神事で、国の重要無形民俗文化財に指定されており、ユネスコの無形文化遺産にも登録されているお祭りです。
山は7つの流(東流、中州流、千代流、恵比寿流、大黒流、土居流、西流)に分かれており、山笠のクライマックスである7/15の「追い山笠(追い山)」では、櫛田神社で「祇園例大祭」が執り行われた後、この7つの流が櫛田神社前に集結。
山留めから櫛田神社の清道を出るまでの「櫛田入り」のタイムと、櫛田神社から須崎町(石村萬盛堂横)の廻り止めまでの約5.5km区間の走行タイムを各流で計測し、競い合います。
山笠は女人禁制(例外として小学4年生の女児までは参加可能)で、女性と喪中の人は「不浄の者」という古い考え方から、女性は舁き手の詰め所には入れませんでした。現在は、女性蔑視の観点から「不浄の者立入るべからず」と書かれた立て札は全て撤去され、女性も出入りはできるようになりましたが、いくつかの制限はあり、今も守られています。
また、山笠の開催期間中の禁忌(タブー)として、
・キュウリを食べること
・期間中の女性との接触
が禁止されている事をご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。
期間中にキュウリを食べない理由は、キュウリの輪切りの断面が櫛田神社の御祭神の一柱・須佐之男命の御神紋・木瓜の花に似ているため、御神紋をいただくのは畏れ多いとして舁き手はこの期間、決して口にしないのだそうです。
7月1日から7月9日までは山を舁く神事はなく、お清めの「お汐井取り」等の神事や飾り山の公開といった内容になっており、7月10日から最終日の15日早朝までの期間は、山を舁く勇壮で豪快な「舁き山」にシフトしていきます。一度見たらその迫力に魅了される人も少なくありません。
「博多祇園山笠」の歴史
「博多祇園山笠」といえば櫛田神社!でも発祥の地は◯◯だった…!
承天寺
山笠の起源は諸説ありますが、最も有力視されている説は鎌倉時代の13世紀(1241年)といわれており、そこから約780年以上の歴史があります。「博多祇園山笠発祥之地」と伝わるのは実は櫛田神社ではなく、地下鉄空港線の祇園駅近くにある「承天寺」なんです。
承天寺にある「山笠発祥之地」と書かれた石碑
なぜ「承天寺」が山笠の発祥地かというと、当時流行っていた悪疫の退散を祈願するため、承天寺の開祖であり、日本初の「聖一国師」の尊号を与えられた円爾弁円が施餓鬼棚(餓鬼霊にささやかなお供えをするための棚)に棒を付けたものに乗って、博多の町に祈祷水を撒きながら町を清めて回ったからとのこと。
車輪のない施餓鬼棚は「山台」に、祈祷水は「勢い水」に通じると考えられています。清道を設けて山笠を奉納するのは、この時のお礼参りといわれているそうです。
7つの流はこうしてできた
山笠の7つの流は、東流、中州流、千代流、恵比寿流、大黒流、土居流、西流に分かれていることをお伝えしましたが、この起源は安土桃山時代の1587年に行われた太閤町割りに由来するといわれています。
太閤町割りはひとことで言うと、博多の町の区画整理。これは戦乱の世で焼け野原となった博多の町を復興させるために豊臣秀吉が行った政策です。東が御笠川、西が博多川を境に区画整理が行われ、その一区画が「流」と呼ばれるようになり、それが山笠のグループ単位の始まりといわれています。
「追い山」はいつから始まった?
「追い山」が行われるようになったのは、江戸時代(17世紀後半)に入ってからで、当時の石堂流(現:恵比寿流)が東長寺で休憩していた土居流を追い越し、2つの流が抜きつ抜かれつを繰り広げたのが町人に受けたのをきっかけに、山を担いでタイムを競うようになったという説があります。
ちなみに、追い山のリハーサルにあたる「追い山ならし」が始まったのは、1883(明治16)年だそうです。
山笠は当初から今の時期に開催されていた訳ではなかった
現在、山笠の祭礼期間は7月1日から7月15日ですが、山笠が始まった当初からこの時期に行われていた訳ではないようです。もともとは、旧暦の6月1日から15日に執り行われていました。新暦の7月1日から15日に開催するようになったのは、1911(明治44)年の決議以降なのだそうですよ。
幾度も訪れた山笠存亡の危機と開催中止
博多祇園山笠には、かつて存亡の危機が幾度も訪れました。神仏分離令など大きな改革が行われた明治初期には、封建制を打破する意図から「博多松囃子」と山笠が明治政府によって禁止されてしまいます。
その後、11年の歳月を経てようやく1883(明治16)年に復活。その後山笠が電線を切断する事故が相次いだこと、ほぼ裸に近い舁き手の出で立ちが西洋人には野蛮に映ったことなどから、1898(明治31)年に、県知事によって中止が提議されました。
しかし、ここで知恵を絞って考案されたのが、町を走行する舁き山と飾り山を分化させること、水法被を着ることでした。
見事、危機を乗り切った山笠でしたが、1941(昭和16)年には太平洋戦争が勃発。1945(昭和20)年には、福岡大空襲で博多の町も焦土と化し、山笠も中止を余儀なくされます。1948(昭和23)年に復活し、1962(昭和37)年から「集団山見せ」が行われるようになりました。
その後、1965(昭和40)年にも波乱が巻き起こります。この年、町界町名整理が実施されると、町境が変わることで博多部は大混乱。解散し、他に分散した流もあれば、存続する流、新たな流が誕生するなど博多部にとっては大きな転機でもありました。
そして、近年の新型コロナウイルスの流行によって2020(令和2)年、舁き山の行事が延期となったのも記憶に新しい所ですね。約2年間の中止を経て2022年に再開され、現在に至ります。
「博多祇園山笠」のスケジュール
7/1の夕方に行われた当番町(千代流)のお汐井取り
<7月1日>
・注連(しめ)下ろし…恵比須流だけは1ヶ月早い6月1日に行われる
・ご神入れ…山笠に神を招き入れる神事で、これが済んだら山笠が一般公開される
・当番町お汐井とり…身を清めるため、当番町がひと足早く箱崎浜にお汐井(真砂)を持ち帰る
<7/1~7/14深夜まで>
飾り山の一般公開
<7月9日>
各流お汐井とり
<7月10日>
流れ舁き…山笠シーズン最初の「山舁き(やまかき)」。コースや時間は流や年によって異なり、公式発表も行われていない。
<7月11日>
・朝山笠(朝山)…早朝の舁き山。当番町の子供達が大人の山笠に台上がりする唯一の山笠。
・他流舁き(夕方)…流の区域外を周る神事。中洲流、大黒流、東流は櫛田入りの稽古を行う。1日2回舁くのはこの日のみ。
<7月12日>
追い山ならし…いわば「追い山」のリハーサルで、実際の追い山よりも1km程短縮されたコースで行われる。一番山笠が櫛田神社の山留をスタートするのは15時59分。
<7月13日>
集団山見せ…1983(昭和58)年からはコースが昭和通りから明治通りに変わり、呉服町交差点から天神の福岡市役所までを走行する(博多部を越えて福岡部に入るのはこの日だけ)。一番山笠のスタートは15時30分。往路は地元名士が台上がりする。
<7月14日>
流舁き…各流の区域内で行われる
<7月15日>
追い山笠…博多祇園山笠で最高潮に盛り上がる神事で、4時59分に一番山笠から櫛田入りをし、二番山笠から八番山笠(「走る飾山笠」)まで5分おきに出発する。「走る飾山笠」だけコースが異なる。
「博多祇園山笠」舁き山のコース
各日程コースマップはこちら
(追い山ならし、集団山見せ、追い山のコースはこちら)
<7.12 追い山ならし>
「追い山ならし」は、本番の追い山とコース距離(追い山ならしは4km)や時間が違うだけで、ほぼ本番と同じ。決勝点(ゴール)は須崎町の廻り止めではなく奈良屋町です。一番山は15時59分に櫛田神社の山留めをスタート。追い山同様、タイムも計測されるので本番さながらの興奮が味わえます!
<7.13 集団山見せ>
呉服町交差点から天神の福岡市役所までの約1.2km区間。山を舁く博多の男達が豪快に疾走する姿は、昼間であっても鳥肌が立つぐらい迫力があり、カッコいいです!ただ、毎年見物客と参加者が衝突する事故が多発しているそうなので、コース内には立ち入らず、黄色と白の襷をかけた前さばきの方の指示に従いましょう。
往路と復路があり、復路は福岡市役所から博多リバレインまでの約800m区間となります。
<7.15 追い山>
一番山笠から七番山笠は櫛田神社を出発し、東長寺→承天寺を通って博多小の辺りで大博通りに入り、祇園方向に戻ってから難所といわれる旧西町筋の狭い道を通って須崎町廻り止めの決勝点に向かいます。難所付近など狭い道は迫力もありますが、事故も起こりやすい地点なので注意が必要です。
「博多祇園山笠」豆知識💡
豆知識その①山笠で上がる「おっしょい!」という掛け声は、7月1日と9日に行われる「お汐井取り」で「おしおい、おしおい」と言いながら取りに行っていたのがいつの間にか「おっしょい」になったといわれており、青森の「ねぶた祭り」の掛け声ともに「日本の音風景100選」に選定された。
豆知識その②山笠の台に設置されている「舁き棒」は、山笠の行われる前月の6月に博多埠頭の「櫛田神社浜宮」にて「棒洗い神事」を行い、博多湾の海水で洗い清められる。
豆知識その③7/15の追い山が5:00ではなく1分前の4:59に開始するのは、一番山笠が櫛田入りの時に「祝い目出度(博多祝い唄)」を歌ってからスタートするため。
豆知識その④山笠では「手拭い」のことを「てのごい」と言い、役職を表している。
豆知識その⑤山笠の法被には「水法被」と「長法被」の2種類あり、山を舁く時に着用するのが締め込み姿のまぶしい「水法被」で、山を舁かない時は久留米絣の「長法被」(膝下までのステテコ)を着用するのがしきたり。
豆知識その⑥山を舁く時にかける2色の布をねじった襷のことを通称「ねじねじ」といい、色は4色。これは役割を表しており、台に上って山を舁く「台上がり」が赤と白のねじねじ、交通整理の役割を担うのが緑と白のねじねじ、「前切れ」と言いながら舁き山の道を空ける「前さばき」が黄色と白のねじねじ、山笠の鼻縄を持って山の進行方向を決める「鼻取り」が青と白のねじねじとなっている。
このような豆知識を知っておくと、山笠を2倍楽しめるかも!
「博多祇園山笠」あれこれショット
飾り山
櫛田神社の飾り山
7月1日から神入れが行われた飾り山は一般公開されますが、飾り山の設置場所は以下の通り、
東流、中洲流、上川端通 、渡辺通一丁目、福岡ドーム、博多駅商店連合会、キャナルシティ博多、川端中央商店街、ソラリアプラザ内、新天町、博多リバレイン、天神一丁目、櫛田神社(常設)
となっています。
中州流の飾り山
川端中央商店街の飾り山
ちょうど設置されている途中だったようで、裏方的な部分も見ることができて、今年は色々と勉強になったなあ、としみじみ。飾り山は追い山当日(7/15)の0時になると、一部を除いて解体作業が始まります。
お汐井取り
千代流のお汐井取り後の様子
たまたま用事があって、夕方の時間帯に地下鉄の千代県庁口駅付近を歩いていたら、車道から車の気配がなくなり、突然遠くから「おっしょい!おっしょい!」という大きな掛け声がこちらに向かってきて、「何?何?」と思っていたら、あっという間に車道と沿道を千代流の男の人達がどどーっと埋め尽くしました…。
お汐井取りの帰りだったとは知らず(汗)。この後、舁き山の前に集合し、「手打ち」で締めくくられていました。でもお汐井取りからの帰りの様子をリアルに見たのは人生初だったので、凄くラッキーだったなあと思います。
暑いですが、興味のある方はあの感動と興奮を是非味わいましょう!
<基本情報>
行事名 | 博多祇園山笠 |
住所 | 福岡県福岡市博多区上川端町1-41(地下鉄七隈線「櫛田神社前駅」から徒歩約2分/地下鉄空港線・箱崎線「中洲川端駅」から徒歩約6分) |
電話番号 | 092-291-2951(博多祇園山笠振興会) |
開催期間 | 7月1日~7月15日 |
交通規制 | https://www.hakatayamakasa.com/154105.html |
公式HP | https://www.hakatayamakasa.com/ |