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福岡の歴史を知る③市内の中心部で歴史を物語る「福岡城跡」

福岡市中央区城内周辺

黒田長政公によって7年の歳月をかけて築城され、江戸初期の1607年に完成した福岡城は、明治時代まで黒田家の居城として存在していたお城で、いわば福岡の発展の礎であり、福岡の歴史を物語る国の重要な史跡です。

福岡市民としては知っておきたい福岡城の歴史について辿ってみたいと思います。

福岡城跡までのアクセス

地下鉄大濠公園駅3️⃣番出口

地下鉄大濠公園駅3️⃣番出口

地下鉄空港線の大濠公園駅の3️⃣番もしくは5️⃣番出口を出たら、左方向に直進します。

福岡城5号堀

福岡城5号堀の前を歩いて行く

福岡城を守るために作られたお堀が1号から6号まであり、大濠公園の駅から5号堀を見ながら天神方向に歩いて行きます。こちらのお堀の水面にはカモさん達がいっぱい遊泳しており、癒やされますよ。

福岡城 櫓

しばらくすると櫓が見えてくる

福岡城は最初から天守閣がなかった?

福岡城跡 案内板

福岡城の別名は「舞鶴城」

福岡城 天守台跡

現在は展望台となっている天守台跡

福岡城は天守閣がないお城ですが、17世紀の福岡城を描いた絵図に天守閣が存在しないことから、天守閣は元々なかったという説も濃厚です。その一方で、近年になって発見された文書によると、天守閣の存在を窺わせる内容となっており、存在説も浮上。

実際に造ったものの、十数年で取り壊したかもしれないともいわれており、天守閣の存在は未だに謎が残されています。

天守台跡からの眺め

天守台跡から見た福岡の街の景色

福岡城には、大・中・小それぞれの大きさの天守台があり、重なった石垣の一番上が大天守台です。天守台から見える福岡の街の景観もなかなかのものです。

福岡城のある場所には、1871(明治4)年の廃藩置県によって福岡県庁が置かれ、その2年後の1873年の廃城令によって一部は移築され、残りは解体されてしまいました。

当時の姿で唯一同じ位置に現存する「多門櫓」

多門櫓

唯一、築城時と同じ位置に現存する多門櫓たもんやぐら

幕末期の1854年に大改修が行われたものの、唯一当時の遺構として同じ位置に現存するのが「多門櫓」です。いざという時の為に防御の石垣の上に築かれ、「石落」や「鉄砲狭間」が備えられています。

多門櫓は倉庫として平時は利用されていたようで、54mの平櫓には16の部屋があるのが特徴です。通常は一般公開されていませんが、毎年「さくらまつり」などのイベント時にはライトアップされ、無料で開放されますよ。

毎年夏には蓮の花が咲くお堀端

福岡城3号堀

3号堀

毎年夏になると、見事なまでの蓮の花が咲く福岡城跡のお堀端。地下鉄赤坂駅近くの1号堀から3号堀にかけて蓮の葉がびっしりと根を張ります。

お堀の蓮

蓮の花は午前中だけ美しい花を咲かせる

福岡城4号堀

4号堀には黄色の睡蓮が咲く

黒田如水隠居地(三ノ丸御鷹屋敷)

黒田如水隠居地跡(牡丹芍薬園)

黒田如水隠居地(三ノ丸御鷹屋敷跡)

福岡城跡は、天守台・本丸・二ノ丸・南丸(二ノ丸南郭)・三ノ丸からなっており、福岡藩の藩祖であり、「軍師官兵衛」としても知られる黒田如水(孝高)の隠居地が三ノ丸の西側(下之橋御門しものはしごもんの南側)に残っています。

牡丹芍薬園 入口

ゆるやかな坂を上ると綺麗に手入れされた牡丹芍薬園が広がる

4月・5月には、「牡丹芍薬園」として無料でボタンの花や芍薬の花が公開され、美しい立ち姿の花々を観ることができるんですよ。

牡丹芍薬園 案内板

牡丹・芍薬それぞれ約20種計約2,000株が咲き乱れる

大輪の牡丹・芍薬の花々は甘く、上品な香りが漂います。行ったことのない方は、是非一度観ておきたいですね。

下之橋御門と(伝)潮見櫓

下之橋御門と(伝)潮見櫓

下之橋御門と(伝)潮見櫓

下之橋御門は城の西側に設置された門で、その反対の東側には上之橋御門の跡地が残っています。

下之橋御門

下之橋御門は二層の門となっている

潮見櫓は玄界灘、博多湾の監視台(海上からの防御)の役割を果たしてきた建物で、(伝)潮見櫓は大正時代に旧黒田家別邸に移築され、1956(昭和31)年に城内の下之橋御門横に再移築されました。

近年、本物の潮見櫓は別の建物であることが調査によって判明し、こちらの建物は(伝)を付けて呼ばれるように。本来の潮見櫓(崇福寺に移築)は三の丸の北西角に位置していたといわれており、2025年春に向けて復元整備が進められています。

名島城の遺構としても貴重な「名島門」

名島門

東区の名島にあった名島城から移築された名島門

名島門は、優れた武将として名を馳せた小早川隆景たかかげ(毛利元就の三男)が居城した名島城にあった脇門で、黒田長政が福岡城を築いた後は名島城が廃城となり、名島門は名島城から移築されました。そのため、名島門は名島城の数少ない遺構の1つといわれています。

舞鶴公園 水仙の花

名島門から中に入ると、斜面に沢山の水仙の花が咲く

名島門から入って行くと、斜面いっぱいに冬を彩る水仙の花が咲き乱れ、甘い香りに包まれていました。少し歩くと、人がたくさん集まる広場があり、その先は大濠公園につながっています。

母里太兵衛もりたへえ邸長屋門

旧母里太兵衛邸長屋門

母里太兵衛といえば「黒田節」

博多駅の博多口にある母里太兵衛像を見ると、「酒は飲め~飲め」の黒田節を思い浮かべますが、母里太兵衛は黒田二十四騎の1人で、福島正則から名槍・日本号を飲み取った事でも有名です。

旧母里太兵衛邸長屋門2

優れた江戸時代の建造物として県の文化財に指定された

当時の母里太兵衛の屋敷は、天神の「野村證券株式会社」のある場所だったそうですが、江戸時代の代表的な建造物として末永く保存していく為、県の文化財に指定され、1965(昭和40)年に移築されました。

梅園

二の丸梅園 案内板

300本の梅の木が植えられた二ノ丸梅園

2月初旬から3月にかけての早春に花を咲かせる二ノ丸梅園の梅の花は、毎年多くの人を魅了しています。約300本の梅の木が植えられ、2月の中頃には「梅まつり」も開催!約30種以上の梅の花を楽しむことができますよ。

二の丸梅園の梅

今年の梅も実り豊か

舞鶴公園と大濠公園に囲まれた福岡城跡。石垣や縄張りは、ほぼ当時のままの姿を留めており、貴重な遺構として国の史跡に指定されています。来年の2025年春には、本来の潮見櫓の復元工事も完成し、(伝)潮見櫓と本来の潮見櫓を同じ福岡城跡で観ることが出来そうです。

知っているようで知らなかった福岡城の歴史。普段は一般公開されていないものも、イベントなどの際には無料公開されるので、機会があれば是非訪れてみて下さい!

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